あうらブログ

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一年間、ほんとにお世話になりました。

 2008年、大晦日の静かな夜です。
 
 今年一年間、あうらを愛してくださった人々、本当にありがとうございました。こんな気持ちにさせて頂けるのも皆様のお陰です。
 
 母さんが亡くなって一年が過ぎる間に、大好きだった二人の知人が亡くなりました。いえ唯単に、この世からいなくなり、彼岸に生まれていっただけのことなのですが、実際に目で見えなくなるというのは辛い出来事でした。
 
 生まれてくる命、消え去る命。私にいろんな事を教えてくれました。
 今という二度とないかけがえのない時を生きる大切さ。
 今、感じた時に感じた様に動いておかないと、もうその後はないのです。一つひとつが完結編。それでもって、転んで怪我して手痛い目にあっても、今という時を、私なりに喜怒哀楽を精一杯楽しんで、過ごしたい。いろんな心うるうる状態で過ごしたい。そして、今、いま、今の積み重ねであるこの人生。
 いつか、私がこの世からいなくなる日を迎えても、この世に生まれてきたことに感謝して、彼岸に生まれていきたい。

 
もうすぐ、新しい年の幕開けです。
 
 巷は暗い話ばかりになっているけれど、私は、ちょっとだけうきうきしています。
 こんな状況だからこそ、否応なしに、みんなが分相応に自分の足元をもう一度見つめ直せる時期に来たんじゃないかと。心と身体を通して、“魂”の存在に気付かせてもらう時期に来たんじゃないかと。何が、私たちにとって一番大切なものなのかを強制的に分からせてもらう時が来ている様な気がしています。
 
 さぁさぁ、来年は何が起こるのでしょう。
 神様は、その人が乗り越えられる問題をいっぱい用意して、魂の成長を見守っていて下さいます。
 私も、何処に到着するのか分からないけれど、今を大切に生きていこうと思っています。

 
では、皆様良いお年をお迎え下さいませ。

 
ちなみに、あうらは1月2日〜4日10時〜15時、5日からは平常営業です。時間がありましたら、また、ふらっとお越し下さいませ。
 
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心、着地せず。

 心がざわついている。
 
 今までの想いは何だったのだろう。
 気付いた事を、何のためらいもなく、過去の自分の経験をも払拭して、再度新しい目で見つめなおし、気付いたとおりにやっていく。それの積み重ね。何処に到達するかは神の意思。失敗と言う言葉がそこで使われても、それは、神様の私へのプレゼント。そんな風に私は思い込んでいると、思っていた。
 
 果たして、そうなのだろうか。
 唯単に、臆病な私の逃げ道かもしれない。傷つくことを恐れるが故の、自己に対する脅迫的なプラス思考。
 
 昨日の夜、ひとりぼっちでの珈琲焙煎。心穏やかだと思った瞬間、心がざわつきだし、涙が流れる。さびしい、悲しい。空虚感にさいなまれる。涙がとまらない。大きな声で泣く。慟哭。“涙は魂を浄化する”。以前は心うるうるだった言葉も、通り一遍とうな響きに変わる。
 
 起こってくることにはすべて意味があると、無理無理理屈付けして、そんな思考に慣れてきたと思っていた。
 母さんの死にも、必ず私にとっては意味が存在するものだと思い込もうとしていた。そうやって、母さんの死を美化しないと乗り切れなかったのかもしれないと気付いてしまった時、自分の今居る位置が分からなくなる。
 
 私は誰。ここは何処。

 
 こんな風に思うのも、神様からのプレゼントなのだろうか。

 
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あうらのお客様たち。

 あうらのお客様たちは皆、素敵な笑顔を持っている。年齢層が高いせいか、それぞれの人生を教えてくださる。
 
 開店当時、おこがましくも、自分の考えに固執しているが故に、右往左往していた自分。自分の事は認められても、人の事は認められない。何という傍若無人。今、振り返ってみると、消え入りたいくらいに恥ずかしくなる。
 
 “何で、こんな箱、造っちゃったんだろう”
 あうらには申し訳ないのだけど、何度思ったことか。
 
 “あうらは、あなたの修行の場所でしょ”私が師と仰いでいる人はのたまう。それは、頭では分かっている。けれど、心が騒ぐのだ。
 6年半を振り返って、ほんとにいろんな事があった。自然体で自然体で生きていくのだと自然体を無理やり作っていた事、あうらの形態があまりに他と違っているが故に思いもかけない誹謗中傷を受けた事、私が「さんりんぼう事件」と呼んで心痛め、泣きたくなった、いや、実際に声を上げて泣いた事等々、その度、お客様たちの笑顔に助けられた。
 
  7年目に入り、この地に着地し始めたあうらと共に、私も着地し始めた気がする。出会ってくださった縁ある人々、その人びとに助けられ、教えられ、今は、その時どきをそれなりに十二分に楽しんでいる。こんな自分もいたのだ。心からそう思える。

 
 今日も、素敵な人に出会わさせてもらった。あうらを心から楽しんでくださる初老(おっと、失礼)の人。初めておみえになった人なのに、一言ひとこと、噛締めるように話し、聞き、的確な応対をしてくださる。きちんと目を見て、優しさオーラが出っ放しである。至福な時を私に与えてくださる。あうらまま冥利につきる瞬間。
 
 ありがとうあうら、私はあなたと共に生きてきたこと、これからも生きていけることに心から感謝します。あうらを介して、私に縁してくださる人びと、ほんとうにありがとうございます。
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またしても、心うるうるの時間。

 YOSHIさんのLIVEが、今終わった。

 
 LIVEがあると、私はとても心配になる。おみえになる人は、遠くから来てくださる。お客様の時間とお金を頂戴して、果たして満足していただけるのだろうか。私の自己満足だけで、走ってもよいものだろうか。
 緊張する。始まるまで、LIVEの最中、そして、終わってからも、心ここにあらずの状態。楽しむ余裕などがない。楽しんではいけないとどこかで思っていた。
 
 それがである。
 今日は違った。主催者側の立場などすっかり忘れ、楽しみきった。私の大好きなカノン、高原に花咲く時、アメージンググレース、千の風になって、・・・等々。鼻がずるずる、目が熱くなって、心うるうる。
 
 なんて、素敵な音なのだろう。広がって行く様で、心の奥底に吸収されるようにピンポイントで到達してくる音。まるで、心の琴線に触れるようだ。 
 彼は、自然の微細な音を大切にする人だ。落ち葉が落ちる音、玉砂利を踏みしめる音、そして珈琲を点てる時の音等々。ひょっとしたら、血の流れる音をも感じ取っているのかも知れない。
 だから、彼の音を聴くと、自分の心の音が聴こえるのかもしれない。だから、心がうるうるという音も聴こえてきてしまうのかも知れない。
 ありがとね、YOSHIさん。

 今日も私は、いろんな人々から、いろんなものを頂戴して、違う自分と出会わせてもらった。この世からいなくなる日まで、私はいろんな人々とご縁戴いて、違う自分に出会って、そして、本当の自分に気付いていくのだろ。
 
 縁させて戴ける人々、自然、目に見えないものに感謝いたします。
 
 
 

 
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心、うるうる状態。

 クリステル・ディルボーナの個展が始まった(9/22〜10/17)。
 
 クリステルの作品はとっても好きだけど、彼女の事は全く知らない。不安がよぎる。私のようなアートに関して未熟な人間が、彼女の作品を扱ってもいいのだろうか。知らぬが故の無謀さ。
 英語全くダメ人間の私、最初に何と言おうか。先ずは握手をして、「アイム、グラッド、トッゥー、ミーチュー」。一生懸命反復練習。
 そして、個展の前日。彼女がアメリカから作品を手持ちで入ってきた。いざ出陣。何もできなかった。彼女の顔を見た途端、抱きついて、「ありがとう、クリステル!!!」。涙が溢れた。クリステルの目にも涙が一杯。想いが身体に、自然に伝わった。同じ様な価値観で生きている人。そうなのだ。国が違っても、人は同じ。想いは伝わる。 
 
 クリステルの作品たちは、ひとつひとつの年輪を重ねたパーツたちの融合。タイトルに添って観ていくと、その人その人が持ち得る時の流れ、想い、そして、これからどう生きていくのが私なのかを、作品を通して、もう一度原点に戻って考えさせてくれる。作品の中に自分を投影してしまう。
 ほのぼのしていて、まったりとそしてあたたかく感じてしまうのは、自然と融合しているせいかもしれない。作品たちが、ひとつひとつそれぞれに愛しい。
 
 クリステルと話した。ボデイランゲージよろしく、「ユァーワーク、ノットルック。インサイド、インサイド、インサイド、アウト」。オッケーサインのもと、「オフコース」。やっぱり、涙が出た。 宇宙の、自然の申し子の私たち、内から沸きだしてくるものをキャッチできるように、いつも心の片隅は空けておきたいものだと思っている。

 
 以前とはまた違うあうらの空気、この1ヶ月間、私はあうらから何を教えてもらうのだろう。

 
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立秋になってしまいました。

 今まで蓄えてきた自分の価値観、既成概念に疑問を持ったところで、冬眠生活突入。
 
 気がどんどん落ちていくのが分かり、心ここにあらず。心の奥底がいつもドキドキしていて、このまま消え入りたいような状態。自分の力ではなんともならない問題を考え過ぎて、どんどん自分を落ち込ませていく。話すのも億劫になり、活字を見るのもいや、いろんなことが面倒くさい。
 それまで、いろんな本を読んで、自分なりに自分の精神状態はある程度管理できるものだと、勝手に思い込んでいた。傲慢なる思い上がり。正解はすべて頭では分かっているのにそれがなにひとつ自分のものになっていない。机上論。
 
 “最近、いっぱいいっぱいでしょう。プチ鬱なんじゃない”とある人から指摘され、初めて気が付いた。そうかこれが所謂鬱状態なんだ。事実を認める。それからである。何も解決していないのに、知らない間に気が上昇していくのが感じられるようなった。腑に落ち、気が楽になった。“日薬”は、本当に存在した。
 
 落ち込んで学んだこと。初めの一歩、体得。頭で考えない。自分の五感を素直に感じ取る。そこから手探り状態で自分なりの都合のいい生き方を生み出していく。
 今は、ちょいとだけ、いろんなものの見え方が以前より三次元的に見え、深い奥行きを感じている。
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私を通り過ぎた人。

 ちょいと落ち込んでいた。心の処し方法に困っていた。
 大好きな人をふたり、癌で亡くした。ひとりは、あうらを介して知り合ったYさん。いわゆるお客様である。もうひとりは、大好きなギャラリーオーナーKさん。二度と会えないと思うと、いろんな事を想う。
 彼らと共に過ごし得た時間の中での、彼らの目の動き、言葉、声の質、指先の動き、首の傾げ方等々、きりがない。何かの拍子に、彼らがその時々のタイミングで、私の心に話しかけてくる。考えてみると、それが、今の私の生き様の原点にも繋がっていることが少なくない。
 “あなたは、人に入り込みすぎるのだよ。いろんな事、聞き流せばよいのに。人との関係は、お腹の具合と一緒で60%がいいんだよ。”私の様子を見ていて、いろんな人が心配して言ってくれる。適度な緊張感の中の人間関係。それが大人の付き合い方かもしれない。けれど、どうも、私には無理なようだ。
 あうらを介して出会ってくださった人々や、縁してくださった人々の力を借り、微妙な言葉を紡ぎ、自分の腑に落ちる感覚のところまで徹底的に自分を掘り下げ、追い込んでいく。それが最近とても心地よい。心から足に抜けるように風が吹く。自分なりの着地だ。だから又、ひとに入り込んでしまうのだろう。堂々巡り。ああこういいながら、それが私なのである。そんな私も、人情の機微を解してくれる人々も私は大好き。ありがとね。
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今日は6月6日、芒種。

 私は、6月6日という日に、何故だか想い入れが深い。
 6歳の6月6日の早朝、里芋の葉っぱの上にある、ころころした露を集めて、それで墨を磨り、お習字を書くと、字がうまくなる。昔からの言い伝えだろうか。そして、私はそれを誰から聞いたのだろう。
 私は、幼い時からお習字を習ってはいたが、はたして、始めたのは6歳の6月6日だったのだろうか。記憶は定かではない。我が子にお習字を習わせ始めたのは、6歳の6月6日だったような気がする。近所の里芋畑に露を取りに行った記憶がよみがえってくる。
 母が認知症になってから、幼い時の事をよく思う。そして、あたりまえのことに気が付いた。
 今の自分を形成している原点、価値観の生まれる原点は、両親、そして、その時に私に関わってくれた人々の価値観を基礎にしたものではないだろうか。基礎は基礎として認識し、それをもう一度、今の自分の目で見て、心で感じて、今の自分に相応しいように練り直す。どういう思考形態が今の自分にとって心地よいのか。魂がうるうる状態になるのはどういうときなのか。八百万の神、森羅万象の力を借りて、ひとつずつ積み上げて生きていきたいものだと思っている。
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認知症の母から教えられること

 キラキラと輝くさまざまな緑。それぞれの緑を行き交う風、いろんな音が奏でるハーモニー。五感を研ぎ澄ませると、いろんな事に気付かされる。
 今一番の私事。この世でたった一人の母。彼女を通して、いろんな事を学んでいる。介護度4に昇格?してしまった認知症の彼女。赤ちゃん返りするんだよと人々は、さも分かりきったように言う。本当にそうだろうか。
 彼女がリクライニングチェアーに寝ている。私はその横で母さんの腰を枕にしながら、「母さん、疲れちゃったよぅ」と甘えると、彼女は、私の頭を撫でながら、「どうしたのぉ」と、聞いてくれる。一瞬前の事は忘れても、彼女はいつまでも母なのである。決して赤ちゃんなんかじゃない。いとおしい我が子の事は今でも心配なのだ。彼女の手の感触で心配しているのが私には痛いほど分かる。
 自分以外の人から必要とされる事。人はそれを潜在意識の中で感じているから、生きていけるのかも知れない。
 情報の共有化はあっても、感情の共有化がなくなったといわれている今が、自分の心と身体の声に耳を澄ませ、五感と六感をfull活動させるチャンスかも知れない。
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胸がキューン・・・

 連休を利用して、東京に住んでいる弟の家族が実家に帰ってきた。5歳になる甥っ子がいる。一緒に遊んでいる時に、「さーちゃん(彼は実生という)、大きくなったら、なんになるの」と聞いてみた。ちょっと考えて、彼は答えた。「みんなを助けてあげるの」。彼は今、なんとかライダーに夢中。そうか、そのことかと思った。でも彼は続けて言う。「おばちゃん、悪い人もだよ」。その時、なんだか胸が熱くなって、一緒に目頭も熱くなった。自分の心が、いかに小さいのか、いろんな事に我執しているのかを指摘されたような気がした。そして、彼は、またちょっと考えて、「なんで、戦争するんだろう・・・」。言葉が出なかった。
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