月一心身レッスンが3か月空いた。“さあ、今の私、どうでしょう”、聴いてみるところから始まる…頭上半分が私じゃない、右半身の感覚が鈍く、痛みも出ている、根本的に息をしていることにさえ気付いていない。血圧を計ると、上が96とて、完全にお休みモード。
]]>“あうら”で提供している、“鬼平鮨”さんの桶をお返しに、ぐるっと曲がった道の、どんどんどん向こうに真っ赤な夕日が有りました。森羅万象、なにを見ても父さんのことを思い出すんよね。もう2か月、まだ2か月、まるで昨日のことのように、・・・違う次元を生きている。・・・・・弟が東京に戻り、実家には誰もいなくなった。お仏壇の横に胡蝶蘭、うずたかく積まれたお線香に囲まれて、父さんの遺影。様子を見に行くのだが、物音ひとつせず、父さんに手を振り、玄関の鍵を締める。ただ、ひたすら哀しい。淋しいのではなく、哀しい。いつまで続くかなぁ、この状態。思えば、父さんは私の生きがいだったのかも知れない。気付くのが遅いってかい、父さん!。
]]>“Sadaharu Aoki”のチョコ。なんだろう?と、蓋を開けると、“びっくり!”仰天、カラフルフルのチョコ、あまりに素敵過ぎて、もったいなくて食べられません。“色”が大好きな今の私にとっての心の滋養。父さんが大好きだった人(百歳で逝去)の娘さんからの頂き物です。・・・・・メールで、父さんが亡くなったことを伝えてから、ファザコン同志、お互いに文章をやりとり、助けられています。彼女も毎日父さんのご飯を作りに実家に行かれ、父さんとの関わりが深い分だけ、空虚感、喪失感がまだまだですが、それでも、“父さんが長生きしてくれた分、一緒に居られてよかったね。あの人の娘でよかったね。今度生まれ変わっても父さんの娘でありたい。”と。心配して来て下さって、いろいろ話され、同じように思いながら、お互い涙をこぼす、きっと、泣くことで心を収めているのかも知れませんね。昭和をしっかりと生き切った、辛口で芯の優しい男たちでした。
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お客さまから、お花を頂きました。自分では絶対に選ばないだろう華やかな花たち。でもこの段に及ぶと、こんな“色”が有り難いと思う。元気印のカラフルフルの温かな色たち。・・・・・昨日は始動初日でどきどきものだったのだか、今日はやっぱしあかんね、ぽっかり穴の存在を確認すると目頭が熱くなる。そこでストップすればいいこともわかりながら、“あの時こうしておけばよかったのに”、連綿と思いは繋がっていく。この思いがあるからこそ、今、父さんと繋がれると、弟は言う。わかるよ、でもね…涙が出るんよ。
]]>いろいろご迷惑をお掛けしましたが、父さんの四十九日も無事に済ませ、今日から“あうら”を再開しました。・・・・・あうら自慢の“寒桜“が散り、寒いとは言いながらも“貝母”の葉っぱが伸び、知らないうちに気付かれないように春が来ています。父さんいなくても、あたりまえに季節は巡る。だから、余計に哀しい。車の助手席に父さんを探す、買い物に行っても、ご飯を食べに行っても、横に父さんを探す。もう少しこのまま、涙と付き合うのが楽かな。・・・ご縁さまの法話“亡くなった人はお浄土で心地よく過ごされています。残された人は地獄で、これからどう生きていこうか試されていますよ”。
]]>3月初旬までお休みすることにしました。再開の時は、また、お知らせしますので、よろしくお願いします。相変わらずの、得手勝手で申し訳ありません。・・・・・父さんが亡くなりました。主治医の先生、訪問看護、介護用ベッド、トイレ、すべてセッティングし、弟と共に看取りを始めた2日目でした。何度もシュミレーションした父さんの指示通り、自宅葬にて、会葬御礼に、大吟醸と紅白上用。のべ100人くらいの人びとに送ってもらい、きっと父さんご満悦!。思えば、素敵な昭和の辛口男でした。父さんの七七日までは、実家で父さんと一緒に居ようかと。・・・此処で生まれ育ったことに、弟も私も“大!”感謝。また、会えるね、何処かで。
]]>毎年恒例、父さんと海津のお千代保さん。今回は、弟が帰って来ているので、“水晶の湯”まで足を伸ばした。お湯から上がって来て、男衆を待ちながら、遠景に揖斐川を眺めながら、とりとめもなく、今を思う。・・・父さん、大好きだったお千代保さんの“串かつ”にも食指を示さなくなり、歩くのに手を貸しても、払い除けなくなった。お風呂も“上がるタイミングがわからないかも”と弟が気付く。いろんな出来ないことが増えて来て、“老い”を私たちに教えてくれている。まだまだ、これからが本番ですね。
]]>朝のジョン散歩からのごほうび数多。朝早くはそんなに風も無く、ただ冷たいだけ。顔と頭が冷たいお陰で、シャキ〜ン、背筋が伸び、細胞が整う感じがする。田んぼが広がるお陰で、叫びなくなるほど、空も高く広い。・・・霜が降りている草の傍に、“ホトケノザ”に“ナズナ”。それぞれが可愛く、すべてが自然の営み、美しい。・・・・・少し前に、“養老先生”の番組を偶然に観た。“輪廻転生”の話から“それぞれの魂が生死を繰り返す”というフレーズが頭から離れない。なるほど、そういうことか!…妙に腑に落ちる。父さんと過ごす時間のありがたさ。時間の流れが楽になってきた。
]]>“初寅大祭”にお山に伺ったので、“辰”…龍さんを頂いてきましたが、なんとも、とぼけた(ごめんなさい!)龍さんで、側に居ると微笑んでしまいます。・・・初寅前夜祭後の法話で執行さまが、震災ほか惨事、そしてお山の惨事も含め、誰もが出来る“にこにこ波動”のお話をされ、にこにこ草の根運動。嫌なこと良いこと表裏一体。“事実はひとつ、真実はそれぞれの人の数だけ”。私たち森羅万象が、原風景からの学びも経験もそれぞれで、価値観違うのあたりまえ。不思議ならば、尋ねて教えてもらって認め合って、ひとつずつ積んでいきたいものですね。すべては繋がって、せっかく“羅網”の世界に居るのだから。
]]>今年の鞍馬の“初寅大祭”は、2日に前夜祭3日寅の刻(午前3時)に本祭でした。毎年あたりまえに随喜出来る幸せを思います。・・・・・ことしのあうらは7日(日)から始めることに今朝決めました。いきあたりばったりですね。・・・・・年始の行事が無事にひとつひとつ終わっていき、それぞれに不手際も含めながらも、着地するところに着地していく。元旦の惨事も思わぬではないが、水臭いくらいに他人事にて、ニュース事。父さんのお正月燃え付き症候群にどう立ち向かうかが課題です。所詮、自己満足の域ですが。原風景も含めて、俯瞰すると、人間ってほんとうに深くて面白くいとおしく可愛い。ことしも老婆心をも慈しんで気付くように動きます。まわりのみなさん、よろしゅうに、ね。
]]>かなりの得手勝手、事後報告で申し訳ありません。あうらは12月26日(火)から年末のお休みに入りました。予定は1月の9日(月)までです。・・・ゆるゆるはいいのだけれど、思い付きで動く楽ちんさを学んでしまたったようで、予定が未定になって来ています。以前は、お正月までになんとか、いろんなことを整えたいと頭で画策して、限られた時間内での消化なので、目論見だけで疲れてしましていたのですが、今やほとんど、頭休眠状態。私は好い加減で動いているのですが、周りは振り回されますよね…すんまへん!。こんなんで、来年も動いて行きますので、また、ふら〜っと遊びに来てください、ませ。沢山にお世話になりました、そして、また来年もお世話になります…感謝!。
]]>頂いた屋久杉の上に、あうらのちょっとだけクリスマス。頑張らないのか楽でいいね。・・・・・大切な息子の44歳の誕生日が過ぎ、母さんの17回忌が過ぎ、今日は20日、12月が慌ただしく、でも、心地よく過ぎていく。こんな年の終わり方は、初めてかも知れない。出会って下さった、諸々の事象、人のお陰さま、ほんとうに楽になった。気持ちが楽やと、息も楽になり、身体も楽になり、まわりも自分の都合よくまわるのは、きっと、私の穏やか波動が伝わるのかなぁ(ちょこっと傲慢、あ!ちゃー!)。・・・冬至にお山の“おさめの寅”に隨喜させてもらおうと企んでいましたが、お天気模様が心配で断念。ひょっとしたら、これもお山のお計らいかなど思ったりもして。無理しないよう、上手く回りますね、いろんなこと。
]]>冬至10日前、一年で一番暮れるのが早いと言われる今日?!、早い時間から灯りを入れ、一年ぶりに、庭の庭園灯を点けました。名古屋日没時間午後4時41分。・・・・・突然にいらしたお客さまにはご迷惑を掛けながら、得手勝手なお正月準備。午前中をお休みにして、自宅の草茫茫の庭の草取りを始めました。午前中だけなので3時間しかないのですが、ぼちぼちは進みます。結局は、自分の心の置き所なのですよね。掃除をしてもいいし、しなくてもいい、どちらでもいいのです。自分の心が落ち着く場所。息が楽に出来る場所。たったそれだけのこと。問題は自分が一番よく知っている、ごまかせない自分の心。大好きな自分の心…あらま!。
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師走も半ばに入り、あうらのお掃除を少しずつ。23年目の焙煎機、“ありがとね”と言いながら、ガラスや部品を洗います。よく動いてくれています。この、ガラス部分をはめ込むのが緊張MAX。一度、欠からかしたことが有るので、息を止め(ほんとは、息を普通にした方がいいと教えられましたが、まだまだです)、ゴムの位置を探ります….よっしゃぁ!。なかなか、慣れません…慣れてはいけないのかも知れませんが。気付くことからひとつひとつ。いつもの師走より心穏やかに過ごしています。・・・・・勝手で申し訳ありませんが、明日11日(月)からウィークデイは12時からの営業、土曜日曜は9時〜17時営業になります。よろしくお願いいたします。
]]>あうら、この時期恒例の“落ち葉掃き”。あうらの葉っぱには名前が書いてあるので、ず〜っと向こう、市役所の手前まで掃きます。完璧(87点)掃いた後の爽快感、壮快感は、きっとやった人でないとわからないと自負。今日は小春日和、風もなく、恵まれた条件の老女の落ち葉掃き。ちょいと、絵になりそうな(そんなわけないか)。夕日に照らされて、コナラの紅葉黄葉が晩秋を告げています。この身体を題材にした、“而今”、今此処だけの一瞬、不思議な感覚ですよね。
]]>見いつけ!、あうらのリフレクション。・・・12月大忙しのダスキンさんの代わりに南側のガラスを拭きます。むむ!、23年目にして初めて出会えた事ながら、一瞬、目の錯覚を疑う。ガラスを通して、下半分が室内で上半分が南側の庭の写り込み…ね、不思議の国のアリスでしょ。・・・・・お正月に向けて、気の付くように動いています。知らない(ほんとは知ってるんだけど)うちに、ひとつずつ手が入ります。今日は北側の庭に有る、征ちゃんの作品“森の柱”を磨きました。征ちゃんが手彫りした部分は尚更いとおしい。“而今”で生きる大切さ。
]]>桜通りの銀杏並木です。今年もこの光景に出会えたことに感謝。・・・・・父さんと一緒に月一の漢方医チェック。母さん亡くなってからだから、16年目になりますね。96歳の父さん、家から電車で出かけるので、毎回毎回、“来月も来られるかなぁ”と、“来年、この景色に出会えるかなぁ”と、愛おしような祈るような不思議な気持ちで歩きます。今回のチェックもまずまずで一安心。先日、血液さらさらの薬(バイアスピリン)を西洋医学から処方され、食欲不振の副作用にて、薬を止め、また!復活!。ひとつずつ、ひとつずつ手探り状態で、歩きます。出来ることはしてあげんとね、父さんにとってはいらないお世話でも、私にとっては大切なこと。
]]>朝の、ほんの一瞬、光が“オチャノキ”に差す。まるで、光のこどもたちが飛んで来るように。次の瞬間にはもう居ない…“而今”。・・・・・実家からオチャノキ、お茶の花を持ってきた。ツバキの仲間とのこと。昔々、実家にはお茶の垣根が有った。ほうろく鍋も有ったので、きっと、我が家のお茶は手作りだったのだろう。私に、その記憶は無いが。思えば、行事事を大切に、人との交わりを大切に、ものを大切に。大人たちはそれぞれの思いがあったろうが、そんなに豊かではなかったけれど、今も懐かしく思えるのは、きっと、大切に育てられたお陰ですね。そろそろ12月、亡くなった母さんのことを思い出す。17回忌になりますね。
]]>小春日和が、あっという間に目まぐるしく変化するお天気に変わり、風の吹き方も変わり、心おさめる“冬”に入りました。12月ですものね。・・・・・見える身体は5%、あとはエネルギー体。見えるものに囚われず、頭からの命令外し、気付くまま、感じるままに動く。身体の構造、仕組みから身体の取説を学び、今や、森羅万象の一部という認識に繋がる。この物質としての身体からしか学べない、過去でもない未来でもない“今”“此処”の認識。“言うは易く行うは難し”なれど、そこに戻れる幸せ・・・いろんなご縁に導かれ、此処まで来られましたね…感謝。
]]>あうらの切り取られた空だけの紅葉黄葉たち。・・・・・穏やかな小春日和そのものの日曜日の昼下がり。奥のテーブル、二組のお客さまが、初対面にも関わらず、お話をなさっています。その音?!を聞きながら、国島征二、征ちゃんの言葉を思い出す。“あうらは点になる…もの、ひと、ことを繋ぐ点、そんな存在になって欲しい”。最近、随所随所で、今まで出逢って下さった人たちから頂いた言葉が、不思議に降ってくる。あの人のあの言葉が無かったら、今の私は存在しない感じるとき、なんだか、異次元に翔んだ気がする。“比べるのは過去の自分、他人ではない”、これも、誰かから頂いた言葉。心の引出しから出るか出ないか。
]]>実家の縁側ガラス戸の掃除、お正月に向けて、気が付くところから、ぼちぼち始めます。“未だ早いかなぁ”と思いながら、門外、寄り付きに“葉牡丹”を植え、1回目終了。ほっと見上げた西側の空、金魚が泳いでいました。・・・・・本格的に冬空になりました。早々に染まったブナとジュンベリーの葉があと僅か、コナラもハナノキもヒュウガミズキも黄色に染まりました。暮れるのも早くなり、午後の4時ころには薄暗くなり、気持ちも少し物憂く、お日さまの力をしっかり感じています。冬至(12月22日)まで一ヶ月、さあ!上を向いて歩こう!。
]]>あうらを始めたのを機会に、ミニクーパーに乗り始めました。ブリティシュグリーンの1台目は、可哀想にも私の不注意で全損。今は2台目アイリッシュブルー。孫と同じ歳なので12年目。ミニのフォルムがどんどん私の理想から遠ざかっていってしまうので、このまま大切に、私の命と同じくらいまで、この子と一緒に行きたいなぁ。“おまえの運転は荒けないからいかん!”と、96歳年男の父さんの弁。“ぶつぶつ言うんなら乗せたらんよ!”とは言いつつも、父さんの言葉に、ガッテン!マークみっつ。“丁寧に大切に慈しんで”…すべてに繋がるお山から頂いた言葉。
]]>あうらを3日間お留守(定休日)にしたら、しっかりと“晩秋”になっていました。ジュンベリーの紅葉が、日曜日のお昼下がりの光に照らされて、透き通っているような感覚さえ覚えます。昨日は木枯し?!、寒かったですね。・・・・・3日間、マスコミと関わりなく、自分時間で過ごしていました。炊事、洗濯、掃除、草取り等々、くるくると気付くまま、気持ちよく。たまの事だからかも知れませんが、ひとつひとつが丁寧という時の流れの中で、都合良く動き、“疲れ”さえも心地いい。何なんでしょうね、この流れ。頭からの命令を外したお陰ですかね。
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あうらの朝の支度をしていると、なにかの気配。国島征二、征ちゃんの作品…“森の柱”だったのでしょうか。・・・・・栗から始まり、ぶどう、梨が終わり、りんごにみかん、実物が美味しくなりました。やっとこせに寒くなりましたね。朝の珈琲の味が落ち着いて、香りと共に、複雑なブレンドの、苦味、酸味、甘味の微妙な味がしっかりとわかるようになりました。この時期の珈琲は特別のような気がしています。自然からの贈り物、豆も一瞬一瞬味が変化(酸化)、そして、それぞれの味覚、その時の雰囲気、数多の偶然が重なっての、この一杯。不思議な時間…いとをかし。新月でしたね。・・・15日(水)午後3時閉店になります。よろしくお願いします。
]]>定休日の夜、用が有り、あうらへ。なんでもないのですよ。なんだか、いい感じの裏口だなぁなんて。白熱灯って、そこだけ温度が違うような、“灯り”っていう暖かな色ですね。・・・どんどん、1、0のデジタルが主流に変化していくなかで、出来れば、森羅万象として、1でもなく0でもない真ん中、そして、両方を兼ね備える力が欲しい。いや、もう、持っているかも、気付いてないだけかも。静かに静かに頭を通さず、聴いてみる、感じてみる。そんなことを心に、大切な一日が終わっていく。
]]>自宅の“ホトトギス”。ほとんど絶えたようになっていたのが、今秋は、小さいながらもたくさん花が咲きました。こんなフォルム、神さまからの賜物だからですね。・・・この時間(16時半くらい)になると、花が生き生き感じられるのは、何故だろう。夕闇せまり、そこだけに“色”が有る(刺し色?!)のか、はたまた、閉店時間が迫り、私が次の事を考え出しているのか、それとも!見えない波動のようなものか。・・・・・たまに、不思議な人がやって来て、見えないものの話で盛り上がると、頭の蓋が取れたような気がします。大切な人に教えて頂いた、97%の知らない私の部分を少しずつ紐解いているのでしょうね。
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実家の草取り最中に出会った“ヒメジョオン”を、あまりの可愛さに連れて来ました。夕方になると、ほんの少し萎みます。そんなところからも自然の営みを感じますね。・・・昨夜のお月さまの幽玄なこと。あの、父さんですら、“大きな月だなぁ!”。東の空、月出の午後8時半くらいは、オレンジのびっくりするくらい大きな月でした。今晩の月出は午後10時くらい。どうして、一日でこんなに時間が変わるんだろう。素朴な疑問がどんどん、子ども感覚になって来ました。気が付けば、“🎼あのこはだあれだれでしょね なんなんなつめのはなのした おにんぎょさんとあそんでる となりのみよちゃんじゃないでしょか🎼”、のリフレイン。なかなかのものです。
]]>あうらのエントランスに、昼下がりの甘い光が当たります。我ながらの自己満足…いいとこや。いらした27、8の男の子?!が帰りしなに、“まるで森の中に居るようですね”と。思わず力強く“はい!”と答えてから、“あら、私、何て言ったんだっけ”。たまに、そんな困ったちゃんも出現。・・・・・“霜月”?!、今日も暖かな日一日でした。朝、あうらの前で素敵な場面に出会いました。小学1年生くらいかな、とお母さん。学校に行きたくないようで、下を向いて、足が止まっています。なにがどう展開したのか、15分くらい後、ふたりで、じゃんけんをしながら、逆方向。男の子は破顔の笑み。まだ、若いお母さんなのに、“待つ力”“待てる力”。私も見習わんとね。気持ちいい霜月の始まりです。
]]>ジョン散歩で通る道の、宝物たち。最近知った浄化作用の有ると言われている“セイタカアワダチソウ”の他にも、雑草と呼ばれている可愛い子たち。それぞれの、森羅万象、いきとしいけるものたちの姿、美しい。・・・・・秋本番に入り、先日96歳を無事に迎えた、父さんの食欲がすこぶるいい。しっかりお夕飯の後にシュークリーム&赤福3個。有り難いとは思いつつ、あうら婆ちゃんの言葉を思い出す…“あちらに逝く前はよう食べる”んよ。心配性の私は気になりながらも、“食欲が有るということはいいこと”だと言い聴かす。どちらでもいいかな、今をきちんと向き合うのは同じこと。
]]>ずっと、地上近くで暮らしているので、た、まぁ~に、高い(high?!)ところへ行くと、心が解放されて、気持ちがハイ(high?!)になります…“この大空、ぜぇ~んぶ独り占め”なぁんてね。・・・・・是非が半分くらい無くなったからだろうか、いろんな場面で、心が解放され、軽く、愉しく、楽になって来ているのを実感している。あと、問題点は、家族やね。一番身近なのに、行動した後になって、まだまだ、自分だけの価値観で、是非を付けている自分に気が付く。大好きなんやから、もっとゆるゆる観察すればいいのに、頭よりお口が先に動きます。ま、それもよしとして、私を観ていかんとね。たぶん、大事なこと全部、この私は知っている、のかも?!。
]]>“🎼チェッ、チェッ、チェッ、チェッ、チェッコリ〜🎼”の曲で、始まる“チェッコリ玉入れ”。ダンスをしていると、笛が鳴り、玉入れ、また、笛の合図でダンスに戻る、低学年の1、2年生の競技。これがまた、なかなかのもので、曲を聞くと、うずうず私も踊りたくなる、ではなく、その前に腰をふりふりしている自分に気が付く…あらまあ。ともかく訳も無く好きなのだ。孫3人合計11回目、一番下が6年生なので、今回が最後の運動会のはずなのだが、来年もこれだけは絶対自主参加?!したいと思っている…魅せられた恐るべし“チェッコリ玉入れ”。・・・・・一昨日は、ぎりぎりセーフのお天気模様にて、とにかく風が冷たい一日でした。でもでも、そんなことを言っている場合ではなく、運動会大好きの私は、非日常に走ります。子供たち一丸となっての何か、そのエネルギーの凄さが私に伝わり呼応している鼓舞感(言葉で表現するのは難しい)、心を裸にしてくれるような、あ!そうか、子供の時の感覚に戻れる感じ?!、これも歳のお陰ですかね。《お知らせ》明日24日(火)は午前11時の開店です。よろしくお願いいたします。
]]>“ぴ〜かん”お天気きらきらです。孫に“ぴ〜かん”は通用せず、びっくり。死語なれど、昭和世代の“ぴ〜かん”、復活させたい“ぴ〜かん”、めっちゃ言葉の響きがいいと思うのは昭和の婆ぁばだからでした。・・・・・今の私の価値観形成(かなりオーバー)に関わってくれた人が、ひとりひとり、いなくなって、気付くと、頂いたものの占めていたその大きさに驚く。あの人と出会わなかったら、あの物、あの言葉、あの事象、あの、森羅万象に出会えなかったら、此処で、のんびりと、“日本仏教史”なんかを読んではいられない。不思議な今この時、を過ごしていると思う。父さん母さん始め、すべてに感謝です。みんなが笑って居られると尚更いいね。
]]>“心臓を止めてごらん。自分の意思でそれができますか。できないんですよ。実はわれわれは生きてるんじゃない。生かされているんです。それがわかってくれば、生きる姿勢は変わります。 谷村新司”…“天昴院音薫法楽日新居士”。
]]>お出迎えの花をローゼルと“セイタカアワダチソウ”にしました。ずっと、花粉症の原因とか思っていましたが、それはよく似た“ブタクサ”の仕業で、逆に、背高泡立草には“浄化作用”があり、アトピーにも良いとか。以前ほどではないのですが、あちこちに生えていて、“浄化作用”と思うと、いとおしくなってきてしまいます・・・。すべてのものに、良し悪し是非関係なく、お役目が有るのでしょう、とは言いながらも、争い事だけはご勘弁。見えないけれど、みんな、どこかで繋がっているのだから、真っ正面から素直に観て、仲良く過ごせるといいね。宇宙時間からすれば、刹那の私たちの一生なのだから。
]]>今朝午前6時くらい、もこもことビンクの可愛い雲たち。早朝焙煎のご褒美ですね。最近、朝が苦手になってきて、今日は“えいやあ!”と気合いを入れて。・・・・・“今を丁寧に大切に慈しんで”と、おやまの管長さまの口癖。久しぶりに、てんてこ舞い舞いのあうらで、突然に、そんな言葉が降りてきた。忙しくても、ひとつずつ、所作にも気を配って、私の心が喜ぶように。自分勝手は承知の上で(ほんとかな)、結局は、自分との対話しか無いような気がしてきた。うきうきわくわくは、きっと、波動で伝わるね。
]]>やっとこせに、“金木犀”が一輪二輪、“銀木犀”も咲き出して、ほのかに香ります。・・・・・過ぎ去ればあっという間の時の流れども、先週のお山に行く新幹線の車内時間、お山のお写経の、偶然変えた筆の運び方から、自分の時間軸が変わったような気がしてならない。昨日は、亡くなられた管長さまのお誕生日。それもありながら、丁寧に、いつもとは違う予定のたて方。ゆるゆると呼吸をすると、一瞬一瞬の時が観えるかのようだ。なにが、どうして、どうなっているのかは、わからないが、私なりに、理屈の合わないことを感じて、積んで、未知との遭遇。森羅万象の私たち、AIには無いあたりまえの力です。
]]>お山の山門で、職員さんから、“あら〜、お久しぶりですね”とお声掛け頂くほど、ほんに2か月ぶりの鞍馬のお山。どうせお邪魔するならと、行事の有る日を選ぶ。“お写経”“例月祭”“お数珠繰り”行事満載の7日。・・・違うんだよね。ふと、気付いて、気付いたままに動き、気が付いたら、鞍馬に降り立つ。そんなふうに動いてみたい。予定を片付け(大した予定でもなく)、お写経に間に合うように逆算して、家を出る。黙々と、行事をこなし、家路に着くとき、“これは違う”と、降って来た。スタンプラリーではない。何をしに、お山へ伺うのだ。管長さまが亡くなられて、余計に突き付けられる本題。ちょいと、面白くなってきたシンプルな私。
]]>明日7日(土曜日)臨時休業いたします。よろしくお願いいたします。・・・・・お日さまの位置が低くなってきて、日差しが長くなりました。風で木の葉が揺れ、そのきらきらが室内にも入ってきて、舞います。朝晩寒いくらいの、“秋”になりました。過ぎてみれば、半袖Tシャツ、短パンの心地よさ。
]]>10月に入り、久びさの神さま詣でにて、先月失礼したので、懐かしい感覚さえ覚えます。“くろがねもち”の実がぴかぴかの“黄緑”。毎年、秋祭りの頃には、赤かった気がするのですが、ちょいと朧気です。ことしは“金木犀”の香りも未だ(いまだ)せず。あたりまえも朧気ですね。・・・・・夏疲れをしていたから、いろんなものに振り回されたのか、その逆か、珍しく体調不良にて、ずぶずぶと。復活すると、よく、わかりますよね。いかに、いろんなこと、わかった“つもり”だけの、自分だけの正論で動き回って、勝手に疲れ果てていたかが。自分軸さえ、揺らいでいるから、疲れますよね。ま、だから、“ちょいと、ゆるゆるしいや”と神さまからの贈り物ですね。倒れないとわからない私やから、これもしょんないね。一件落着。
]]>お彼岸のお中日。気候某と心配しながらも、お彼岸に、きちんと咲く彼岸花。体内時計ならぬなにか察するものを持っているのでしょうか。なにに反応しての、この時期!?。それにしても、花のひとつひとつが神さまからの賜り物、仏さまからの賜り物、妖艶で美しい。・・・・・“今日から秋になりました”、そんな言葉がぴったり、裏口からテラスに抜ける風の心地よさ。久しぶりですね、冷房のない自然の温度。ゆったりと酸素を味わえるような気さえします。“なんでもない、普通(なにが普通かは置いといて)が一番”と、昭和の婆ぁば。
]]>ほんわりとまん丸く、実生の芙蓉の花が咲き誇り“出し”ました。これからどんどこ、咲きますね。夕刻には萎む一日花の潔ぎよさ。そういえば、“酔芙蓉”の花を思い出しました…“風の盆恋歌”…そんな時代もありました。・・・・・仏教系の本を、ぼちぼちと読み続けて(なかなか前に進まず)いるせいか、“わぁ~いわい!”の世界から遠ざかっていることに気が付いた。先週も少林寺の練習がお休みにて、意気消沈。いろんなバランスの中で生かされいるのですね。あたりまえの有難さ。明日からお彼岸に入ります。
]]>庭に、“シオン”の花が咲く季節になりました。気温は高くても、あちこちでしっかりと秋色。今年もそろそろ年に一回は食べたい“栗ご飯”の季節。私はうるち米に餅米を3割くらい…入れ歯無しの父さん、去年は食べ終わった後、お茶碗に栗がころころ…小さく割ったんですけどね…今年はどう出ましょうか。・・・・・少々、夏バテ気味にて、そして愚痴気味にて、訳知り知人と愚痴競争。何の解決にもなるわけではないのですが、これが結構、吐く(言霊に怒られそう)と心地いいもんで、お互い、“あ~あ、すっきりした!”。そんだけがいいよね、そんな関係が有り難い。思えば、生きていることだけで、皆に助けてもらっていること、数多です。
]]>“瑠璃虎の尾と桔梗”、紫が似合う季節になりました。今日は“重陽のお節句”、本来は菊でしょうか…許されて…。先日からの朝晩の、めっきり秋到来に、縁側の戸を閉めて寝るようになりました。朝はまだまだとゆっくり明け、夕方はさっさと夕焼け、お彼岸まではまだ有るのに、秋の夜長に向かっているのをひしひしと感じます。・・・・・以前、一度だけ、それも“あうらブレンド”を飲まれ、今日は突然いらして、“カロシトラジャ”と“マンデリントバコ”の珈琲豆をお買い求めになる。高い買い物、帰られた後で、少し心配になる。お気に召します様に。
]]>あうらの駐車場に、今年初めての“芙蓉”の花が一輪。何処かからやって来た“実生”です。どこがどうしてどうなって、この現象。歳はどんどん重ねていくのに、不思議なことがどんどん増えていきます。小学校の、あんなに困っていた自由研究、今なら、ばっちりこんですね。・・・・・季節が変わっていくからだろうか、へんてこりんな本を詠んでいるせいかだろうか、きっと両方。大切な人から意外なメールを頂いて、それも相乗効果になっているように、またしても、不思議時間を過ごしている。必然で起こっていることたちの中で、真っ正面から、素直に観ていこう。大切にして。
]]>1か月に2回の満月、そして、地球との距離が近いとされるスーパーブルームーン。前回の満月の時は、すこしわくわく、お山の“如法写経会”の真っ只中でした。夜のお月さまは雲っていて、出会えず、…朝の5時近くに、鞍馬の西の空に白い残月を見つけたときは思わず、手を合わせてしまいました。・・・・・9月に入りましたね。暑いとは言いながらも、8月とは光の強さが違う、5月の透明感の有る光ともまた違う、穏やかな光、“あうら”はきらきらです。葉っぱの色も“晩夏”ではなく、穏やかな“初秋”色になってきました。今年も3分の2が終わりましたね。
]]>ちょいと前に、糟谷さんに手入れしてもらった“シマトネリコ”の切り口から、小さな子たちがいっぱいに出現。また違う光景に出会えますね。・・・・・暑い熱いと言いながらも、朝に晩に、夜に、秋の気配を感じます。きっと、心が“これから夏”ではなく、日の短さを感じながら、“秋に入った”ことを腑に落としつつあるお陰ですね。庭の木々の葉っぱの勢いも、粛々と季節を受け止めているがの如く。糟谷さんに手を入れて頂いたお陰で、葉っぱの一枚一枚が見えるよう、葉っぱが“うんうん!”と頷いているよう。・・・《お知らせ 30日(水)臨時休業いたします。よろしくお願いいたします》
]]>“なん”でしょうかね、真ん中の焦げ茶の物体。“枯れ葉かなぁ?”と、テラスに出て、じっくり、びっくり、“こうもり!?!?”が、ジュンベリーの細い枝にしがみついていました。夏の夕暮れ、飛んでいるのを見掛けることは有っても、この状態は初めてにて、かなり嬉しい“お初”です。どうでもいいけど、“?砂屋”を思い出したりもして。あうらの庭が野生化してる証拠かな。・・・・・自分の中の感情の付け方がかなり変わってきたのを自覚するも、異家族は、甘えがあるのか、やっかいですね。一瞬前は流れていたのに、なにかの拍子にまた取って来てしまう。でも、ほんの少し、きっと、“ナノ”の単位では、心身、楽になってます。・・・さあ!、置いといて、これから、少林寺!。
]]>市場に“鶏頭”が出回るようになりました。あんなに、煩く鳴いていた蝉の声も、気が付けぱ静かになっていて、夜には、“じいじい”と晩夏の虫の音がするようになりました。猛暑、酷暑と言いながらも、あたりまえに季節は移ろいで、そんなことが有り難いと思えるのは、食欲皆無の95歳の父さんと一緒に居るお陰ですかね。“無常”という言葉を是非無く、観ています。いろんな人生があって、あたりまえに然るべく。森羅万象のえもいわれぬ不思議さ、有り難さ。・・・《お知らせ》明日22日(火)は午前11時からの営業になります。よろしくお願いいたします。
]]>明日15日(火曜日)、臨時休業します。・・・・・台風来てますね。身勝手な私は、鞍馬のお山の心配だけをしています。まだまだ、数年前の台風の爪痕が残るお山。植林した苗木が少し大きくなったばかり。・・・祈ります・・・去年亡くなられた管長さまの初盆に。
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鞍馬に“驟雨”。幻想的な光景に、心が小休止…“如法写経会”初日の夕方、ひとりで、お山の様子に心を運ぶ。・・・・・2週間ぶりの、ブログです。・・・あうらの夏休み、いろんなことを振り返ると、思いも寄らない、これからの私にとっての、大切な11日間でした。誰の為でもない、私だけの時間、異次元の、お山の如法写経会は、昨年は管長さまが逝去され、急遽見合わされたお山の大切な行事。一年の空白の大きさを感じながら、…“宗教はお葬式の為に有るのでは無く、今の貴女が幸せになる為に有る”…そして今、管長さま信仰なのか、お山信仰なのか、管長さまに問われている気がしています。その時は、違和感の有ったお山の写経会でしたが、落ち着いて、感じ、思い、考えてみると、やはり、私にとっては唯一無二の時間でした…感謝!。
]]>明日7月31日(月曜日)から8月10日(木曜日)まで、夏休みを頂きます。誠に申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。・・・・・・・・こんな酷暑にも関わらず、庭の隅っこの日陰でひっそりと、“紫陽花”が咲いていました。そのすぐ側、炎天下には“ピンクの百日紅(サルスベリ)”。もう一か月も前に咲き終わった花に紛れて、そこだけ生き生きと。不思議な、でも、森羅万象からすればあたりまえ?!の事なのでしょう。いろんな出来事、出会ったときは、びっくり、ざわざわ、おろおろ、頭真っ白、胸きゅ〜ん、ばくばく、等々。一息ついて、振り返れば、終わり良ければ総て良し…終わり良くなくても、それはそれで必然の出来事と強引に。きっとこれが、歳のお陰さまでしょうね。
]]>“木々にお聴きになったら”…亡くなった鞍馬のお山の管長さまの御言葉が繰り返しやって来る。・・・・・昨日は月一の漢方医のチェックにて、父さんと名古屋へ出掛ける。デパ地下もぐる〜っと回って、お夕飯、お饅頭ゲットまでは、よかったのだが、改札横のトイレで、父さん立てなくなり、救急車のお世話に。いつも洋式で済ませているのに、慌てて和式に入り、立ち上がれなくなったのだ。それからの15時から21時まで、まるでドラマのように物事が展開。駅員さん、救急隊の方、救急車に道を譲って下さった車の方々、病院のスタッフ、看護士さんから先生まで何人もの人びとの手を借り、MRI他すべて検査し尽くし、数時間後の先生の所見は“申し訳ない言い方ですが、ご高齢なので”。…ほっと一息。終わってみれば、心温かな、学びの時を頂いたような?!。
]]>夕刻の、お日さまが沈んだ数分後、色彩の美しさにしばし茫然、なんという光景。そしてまた、午後9時半くらい、西の空低く位置する赤い三日月も、何事かと思うくらいの幽玄さに、車を止め、見入ってしまう。…この、一瞬一瞬が不思議な位置、その積み重ねの今此処。あたりまえが、不思議の積み重ねかも知れませんね。だから、“ありがとう”。・・・・・しっかりと、自分の為の夏休み(毎日が自分の為なのですが…置いといて)をすることにした…7月31日(月)~8月10日(木)。それが頭に有ると、心ざわつく思いも、“なんくるないさぁ”。自分の感情、感覚なのに、横から観ていると面白いものですね。“あらまあ、こう出ますか”と自問自答。そんな掛け合いを愉しんだりもして。
]]>自宅から、今朝手折ってきた一日花の“芙蓉”の花が萎みました。濃いピンクの線が、ちょいと艶っぽいでしょう。閉じ方も“いゃぁ~ん!”と、聲がするかのように…可愛いねぇ。・・・・・“森羅万象”という言葉を遣い過ぎるせいが、自分の立ち位置がおぼろ気になり、時間軸がなくなった…ような。気付くまま、自分の心地いいように、気儘に動く。朝の自宅の草取りから始まり、あうら、実家の父さんのお世話(どちらが世話してるのか?)、夜11時頃の帰宅、就寝、思えば、かなりの密度、疲れ知らず。軽やかさが増している。これはきっと、脳からの強制指示を止めたから。お陰さまで、心身“楽”になりましたね。
]]>外は暑そうですね。中は申し訳ないくらいに心地いいです。今年4月から野球を始めた6年生の孫は12時から練習とか。気になりながらも、炎天下、一緒に指導して下さっている監督さん、コーチさんたちに頭が下がります。この猛暑がかけがえの無い経験になりますよう、婆あばは祈ります…大丈夫!。・・・・・ずっと気になっていたことが有る。お金の出し方なのだが、小銭はともかく、お札を相手向きに差し出す方が1割に満たない。どうかしちゃったのかなぁ、大好きな日本人。怪訝に思っていたのだが、今日の午前中に若い男の子ふたり。お支払いの時、きちんと天地も揃えて、私向き。“ご丁寧に有難うございます。嬉しいです。”と告げると、“いえ、普通ですよ。”と。数少ないお客さまからの、大きな贈り物。だから、此処が好き!。
]]>昔は“千日坊主”と言ってましたね、“千日紅”。可愛いくて可愛いくて、目が細くなります。森羅万象、細胞たち全部繋がってるかのように。・・・・・少し、表に出ると、とんでもなく熱い重たい空気。日傘無くては、とても歩けないくらい。だからかな、昨日からお客さまが少ない(いえいえ、ま、こんなもの)。…いいのかわるいのか関係なく、結構愉しい。昨日は駐車場の草取りをし(自慢したいくらいにばっちり)、今日はしつらえのお花の切り戻しと、届いた少し小難しい本に手を付け出した。“時間の使い方はそのままいのちの使い方なのですよ 渡辺和子”。気付くままに、動くのが愉しいし、動ける幸せ、それに伴う充足感。管長さまから頂いた“静心”の言葉。
]]>久しぶりの雨の朝。窓に滴、征ちゃんの作品のテーブルの美しさに花を添える。朝一に誰も居ない、私だけの静かな空間。・・・・・まるで今日の雨のように、降っては止み、止んでは降るかのようないろんな出来事(例えば、突然の父さんのMRI検査とか)たち。あたりまえに淡々とやって来て、淡々と去っていく。何故か、異次元のような不思議な感覚すらしている。何だろう…現実味が無い…ふと、私は何処にいるのだろうとさえ思うことがある。これも、いろんな人びと、森羅万象のの為せる業、有難いことですね。
]]>鞍馬のお山の管長さまが亡くなられて、一周忌の今日、朝から感慨深く時を過ごしている。昨夜は、くっきりと満月の中に兎さんが居て、“月と兎”の管長さまの紙芝居を思い出していた。自ら仕組んだわけでもない、降って湧いたような管長さまとの出会い。そしてそれからの、いろんな人びとに助けられての今のお山とのご縁。この世の中で、どんな仕組みになっているのか、知りたいものとは思うが、それにしても、こんなに、勝手気儘に生きているにも関わらず、“楽”に過ごさせてもらえる有り難さを、ひしひしと感じている。誰かに見護ってもらっているとしか、言い様のない時の流れ。しっかりと心して。
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